行天氏は、世界の流れには統一化と多様化という、一見反対方向の動きがあるが、これらは必ずしも対立するものではなく、うまく管理することによって共存させて行くべきであると提言する。
グローバル化というのは、市場原理の広がりをはじめ、情報化社会の進展により、世界の慣行・制度・そして考え方までも統一して行く流れであった。しかもそれは実態上、米国化ということであった。しかし、一皮剥けば、従来の多様性が顔を出す。例えば、コーポレート・ガバナンスについては、絶対権力を持つ株主という米国流の思想に与しない勢力が各地に存在する。また、民主主義や人権といった、西欧社会では明白と思われた概念にも、広がりがあるらしいことが分かって来た。
また、グローバル化は、人々をある特定の思想の下に統一する流れという要素を含むが、諸般の事情から完全に統一することは困難であり、これに従わない人々が、強制された、或いは従わないことによる不利益を蒙った、という受け止め方をした場合、憎悪と復讐の念が芽生えることになる。
統一化と多様化の二つの葛藤が解消することはない。出来るのは上手く共存させることである。このためには、まず、多様化を建設的にとらえ、新たな統一に向けての発展に結びつける努力をすること、そしてもうひとつは、多様性を認めた上で、自由な議論を交換することにより、暴力的な対立に発展しないように努めることである。
英語の原文: "Convergence or Divergence"
http://www.glocom.org/opinions/essays/
20041018_gyohten_convergence/