日中韓の確執の焦点は、歴史認識と日本の教科書、領土問題、そして日本の安保理常任理事国就任にあると言われている。しかしよく見れば、北京とソウルは、歴史と領土問題を利用して日本の常任理事国就任を妨げようとしていることが分かる。
日本の歴史教科書の内容については、日本国内でも長年議論の的になってきた。しかし、表現(と宗教)の自由を絶対視する戦後の日本が、超右翼的教科書の存在をも許してきた。ただしソウルが何と言おうと、問題教科書を使っているのは学校の0.04%に過ぎない。
1945年までの日本の侵略政策は議論の余地のないほど明確になっているが、ここへ来ての中韓両国の主張は歴史を今の政治に利用している謗りは免れない。
中国内の反日暴動は、政府に対する民衆の不満の解消を政府があらぬ方向へリードしたものである。中国は自らのインドに対する侵攻やチベットに対する非人道的措置、そしてベトナムに対する攻撃を棚に上げている。韓国の竹島に対する態度も不思議である。領土権の主張の正当性が何れにあるか以前に、竹島は韓国軍が占拠したままとなっている。韓国軍は80万人を擁するのに対し、日本の自衛隊は22万人である。
中韓両国は日本の18回に及ぶこれまでの謝罪を無視し、未だ不足だと叫んでいる。両国が非難する靖国参拝についても、仮に靖国神社の成り立ちに問題があったとしても、過去55年の日本の国際社会での実績を見れば、小泉総理の言う、過去の反省と平和への決意のための参拝、という説明の方が説得力がある。
中韓両国は、1945年以来の日本の努力と世界への貢献に目を向けようとしていない。その間、中国では失策と圧制により何人死んだか。韓国は自らの土地を焦土と化した、中国を後ろ盾とする北朝鮮の侵略を忘れたのか。
今回の日本の冷静な対応は賞賛に値する。まさに常任理事国に期待される行動様式である。
中国による地域支配を目論んで無謀に歴史を弄ぶような態度は、まさに指導的立場に立つ資格が無いことを証明している。
世界的な視点からみれば、中国による無責任な「いじめ」や、盧武鉉大統領による「中・韓・北鮮」同盟政策が日本を追い詰めることによって、1931-1945年に日本を支配したような勢力の台頭を促すことにならないことを願いたいものである。
英語の原文: "Abusing History for Political Ends"
http://www.glocom.org/debates/20050425_kovalio_abusing/