GLOCOM Platform
debates Media Reviews Tech Reviews Special Topics Books & Journals
Newsletters
(Japanese)
Summary Page
(Japanese)
Search with Google
注目記事 (2005/6/20)

Opinions:
 
「自由貿易に異論を唱えるのも自由である」
 グレゴリー・クラーク (国際教養大学副学長)
  
   英国とオランダで相次いで否決されたEU憲法案は、EUの官僚主義の行き過ぎに対する強烈な反発意識の表れであったと同時に、所謂「グローバル化」の概念が拒絶されたものといえる。
   20世紀半ばまで、保護貿易は当然のことであり、自由貿易は「卑猥な」言葉であった。然し行き過ぎた保護主義・国家主義とそれが一因として発生した第二次世界大戦を経て、価値観は180度転換し、自由貿易が正当な教義としての地位を確立した。60年代の教科書は、自由貿易を正当化するために、19世紀の「規模の拡大に伴う収益の逓減」理論を持ち出した。しかし現実の世の中は全く逆であり、生産が拡大すればコストは逓減し、結果、強者と弱者の差は益々拡大することになった。
   自由貿易論者は、弱小経済国が、競争によって特定の産業を失っても、それは、より競争力の強い産業に転換することが出来る過程であり、良いことだと主張した。いわば、破産した繊維産業の経営者や労働者が翌日からハイテク産業に移れば良い、と言う主張であった。しかしこの主張は、現実に様々な歪みを生んでいる。中国やインドでは、バランスの取れた経済発展が阻害された結果、特定の分野に偏った産業が強大化し、自国経済のみならず、世界経済を歪めている。
   日本は戦争直後から1970年代にかけて、様々な経営知識や技術の発達と相互交流がある段階に達し、産業全体として自立できるまでは、ある程度特定産業の保護が必要であると主張した。世銀をはじめとする当時の先進国はそのような主張を認めなかったが、日本はある程度はこのような政策を実践することが出来た。これが健全な経済を育んだのは言うまでもない。
   行き過ぎた自由貿易には、荒っぽいが有効な薬が存在する。為替相場の調整である。他の施策と合わせて適時適量使用することができれば有効な薬である。中国が今各国から為替相場の調整を迫られている。中国政府は、基本的には相場調整の必要性に同意しつつ、自国の主導で実施すると主張し、その間繊維の輸出に輸出税をかける、という何とかバランスを保った対応をしている。
   日本の経験と比べてみよう。1982年、日本の輸出が各国と摩擦を起こし始めていた頃、筆者は大蔵省の委員会で、自動車の輸出に輸出税をかけるべきと提案したが、全く無視された。また、円相場の高め誘導論も直ちに否定された。筆者と、当時同様の主張をした細見卓氏の意見は、報告書の最後に小さく付記されるにとどまった。そして1985年、我慢の限度を超えた米国相手にプラザ合意を結ばされるに至った…その後遺症から日本は未だ回復していない。

英語の原文: "Free to Take Exceptions to 'Free Trade'"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20050620_clark_free/
. Top
TOP BACK HOME
Copyright © Japanese Institute of Global Communications