小泉総理による靖国参拝に関する国会答弁を含む発言を巡っての議論は、日本人が、先の戦争に関わった自らの責任に対し、正面から向き合っていないということを示している。日本人は、戦争責任の所在を曖昧にしたままであるのみならず、一部ではあの戦争の正当化さえ囁かれ始めている。
戦後、日本は新しい憲法の下に平和を遵守してきたにも関わらず、未だに多くの批判が寄せられるのは、未だに東京裁判受け入れないとする勢力が残っているからであり、一部国会議員をはじめ、東京裁判の正当性を疑問視する意見がしばしば発表される。しかし、このような議論は、東京裁判を受け入れたからこそ、今日の世界に受け入れられた平和な日本がある、ということを忘れた暴論である。
中国からの、靖国参拝批判に不快を感じる日本人は多い。確かに、靖国問題は日本の国内問題である。しかし日本人自身が、先の戦争に対する責任を曖昧にしていることが、却って外国からの指弾を呼んでいる。戦後60年経って、日本人は未だに自らの過去を国際社会との関係で正当に評価できていない。
英語の原文: "Heroes or Villains at Yasukuni?"
http://www.glocom.org/opinions/essays/
20050627_ishizuka_heroes/index.html