小泉首相が郵政改革に拘る理由として、350兆円に上る郵貯・簡保の資金を、汚職や無駄に塗れた財投から市中銀行や民間投資家に回すことが上げられる。しかし現在、金利ゼロの資金余剰基調の中で、そのような資金を活用する民間の力はあるだろうか?
そもそも日本の問題は、1,400兆円に上る資金が個人貯蓄に留まっているという貯蓄過剰状態にある。然し、どうやら貯蓄への嗜好は日本の文化・国民性によるものであって、一朝一夕には状況を変えることは困難である。従って、日本は公的支出によって需要格差を埋めなければならないという構造にある。700兆円に積み上がった公的債務を懸念する声もあるが、それは、個人貯蓄額の半分に過ぎない。
公的支出の無駄について言及する向きもある。しかし経済活動の多くは官民を問わず無駄を伴うものであって、要はその間接的・波及的効果如何である。もし仮に財投資金がバブル期に民間の手で運用されていたとしたら、その多くは何れ破綻に至るゴルフコースやリゾート開発に回っただけでは無かったか。それよりは高速道路や新幹線の方が遥かに日本のためになった。
必要なことは、国内需要の低迷とデフレリスクが慢性化した経済には、今日銀が行っているように、資金を供給すること、それも、資金需要が無く、返済義務を有する市中銀行に供給するのでは無く、資金需要があり、インフレにならない限り返済義務が事実上無い政府にその資金を回すことである。
英語の原文: "Reform Mantra Mesmerizes"
http://www.glocom.org/debates/20050816_clark_reform/