しばらく前から「21世紀はアジアの世紀」と言われていたが、いよいよそれが実現されつつある。しかもこれは単に中国の台頭ということではなく、地域全体としての存在が浮上しつつあるということである。
中国は引き続き地域で重要な位置を占めるが、他の国も変化しつつある。韓国では国内の政治改革が行われつつあり、これは反面、同国の対北朝鮮をはじめとする国際関係を見直すことに繋がっている。日本は「失われた十年」を経て改めて自信を回復するために、経済・社会・安全政策の新たな枠組みを模索している。東南アジア諸国では、反乱や暴動、イスラム原理主義、そして近代化の流れへの対応に苦闘している。何れのテーマも各国政府が真剣な取り組みを行っているが、ミャンマーとカンボジアの事態は憂慮される。インドが台頭し、亜大陸の外にまで戦略的影響を及ぼしはじめて居る。台湾では中国とそして世界に対する自己認識を見直しつつある。
今後アジア地域に影響を与える要因としては、まず世代が交代しつつあることが挙げられる。例えば、韓国の老人にとっての大事件は朝鮮戦争であるが、今の指導者層にとっては1980年の光州事件である。これらの二つの出来事において例えば米軍の役割が大きく異なったことを含め、この世代間の認識の違いがどう顕現して行くか注目される。北東アジアの緊張は、若い世代においての、周りとは違うという自我を求める過程として「ナショナリズム」の発現に拠るところが大きい。また、大災害や広範囲に亘る疫病の懸念などが「安全保障」の意味を変化させているが、これが各国間の協調・協力体制を生みつつある一方で、エネルギー問題が喫緊の課題となりつつあり、各国に新たな戦略思考を促している。そして最も大きな要因は、ここへ来てようやく「アジア」という自己認識がこの地域の国々・人々に浸透しはじめたことである。この動きは、従来部外者とされたインド、オーストラリア、ニュージーランドにも大きな影響を与えはじめている。
やはりこの地域に引き続き絶大な勢力を保つ米国の動きが重要である。米中の安全保障関係がテロ対策に限定されおり、脆弱であることがひとつの不安定要素となっているとの指摘もある。米国としては、アジアとの関わりを明確にするための、対アジア政策構想を纏める必要がある。しかし米国にとって最も必要なのは、従来の発想を根本的に変えることである。米国としては、非常に困難ではあろうが、従来の、言わば大西洋中軸の視点から発した各国個別に対応しようとする考え方を全面修正し、アジアという地域が全体として国際社会で大きな地位を占めるに至ったこと、そして地域全体としてのアイデンティティーが生まれはじめて居ることを認める必要がある。
英語の原文: "Missing out in Asia"
http://www.glocom.org/debates/20060120_gloss_missing/