堀江貴文前ライブドア社長は、バブルの代償を払わされた最後の人たちの一人と言えよう。バブルの当時、電話一本を使って一晩で大儲けをする人々がおり、メディアもそのような輩を囃し立てた。彼らは、そもそも日本の豊かさが「誠実な」人々により齎されたということを忘れていた。
小泉首相が先導した改革は、その思想が市場万能主義に根ざしている。それが勤勉に対する報酬の形で顕現するのであれば良いが、実際には金融手法を用いたカジノ資本主義に脱してしまったことを、ライブドア事件は表している。首相は「官から民へ」と主張するが、そもそも官の役割は何かと言えば、それは監督行政であるべきだ。
例えば、証券取引等監視委員会が当時の大蔵省の内部に作られたのは、言わば泥棒に警棒を持たせるような行為であり、実効性を期待するのは無理であった。また、官僚主導の時代ではなくなったからと言って、その逆の民間主導と言う考えも間違っている。政府が行うべきことと行うべきで無いことの線引きを明確にすべきであり、政府が行うべきことは多い。全てを市場に委ねることが住み良い社会をつくることに繋がる訳ではない。
英語の原文: "A 'Livable' Society Has Rules"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20060313_sawa_livable/