中国と韓国は、靖国神社には戦犯が祀られていることをもって、小泉首相の参拝を非難している。そしてこれに対し不快感を覚える日本人も多い。このような日本人の多くは、平和憲法を六十年に亘って遵守してきた実績を見て欲しいと言う。しかしその考え方は最も重要な一点を忘れている。即ち、戦後開かれた東京裁判について、その結果を日本として受け入れることが講和条約に記されていること、つまり、戦犯は文字通り犯罪者であると認めたことを、日本が世界に約束していることを自覚していない。
中韓の非難に関わらず小泉首相が毎年靖国神社に参拝してきたことは、そのこと自体の是非とは別に、日本人にとって、真の戦争責任は何処に、そして誰にあったのかを考え直す良い機会を与えたとも言える。日本人自身が自ら歴史を直視することを避け、戦犯をスケープゴートとして事足れりとして済ませていないか、という指摘もなされている。戦争から戦後そして現在までの状況について、外国の介入や影響を口実にする段階は過ぎた。
自民党の次期総裁選出に際しては、中韓を含むアジア全体との関係が最大の懸案事項となろう。日本が今後の進路を定め、東アジア地域での立場を確立してゆくための試金石となるからである。米のノーベル賞文学者ウィリアム・フォークナーが記した通り「過去は死んでいないし、まだ過ぎ去ってもいない」のだから。
英語の原文: "Past 'Is Not Past' as Japan Faces Test to Chart Course in Asia"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20060605_ishizuka_past/