小泉首相の参拝で盛り上がった靖国神社を巡る議論の根本には、日本の国家としてのアイデンティティーのテーマがある。戦後六十年経って、日本人は新たらしい国家像を模索している。広くは文化伝統、社会構造、そして倫理面の検討が必要であるが、より具体的には天皇制と神道も俎上に乗せる必要があろう。
靖国神社を巡る議論を難しくしているのは、神道と天皇とそして明治維新以後日本が戦った戦争とが輻輳しているからである。日本人は、米国における政府と教会の分離が理解できないのと同様、神道がどのように日本の統治と深く関わっているかの認識が乏しい。それゆえ、日本が自らの歴史と伝統を振り返ろうとするたびに、近隣国は日本の昔のナショナリズムに懸念を覚えるのである。
しかし日本は未来永劫自らの過去を忘却の深みに押し込めて置くことはできない。読売新聞が昭和の戦争についてのシリーズを掲載し、その中で、日本や周辺国に甚大な被害を及ぼした政治的及び軍事的指導者の責任追及を行っている。このような姿勢こそが、あらためて日本をして自らの伝統、文化そして歴史との確固たる関係を再構築することができよう。
英語の原文: "Six Decades after War, Japanese Intensify Search for Identity"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20060828_ishizuka_six/