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注目記事 (2006/12/18)

Debates:
 
「北朝鮮に核兵器を持たせたのは誰か」
 フランク・チン (評論家、香港在住)
  
  ブッシュ大統領は2002年の一般教書演説で、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んだが、それ以後、イランやシリアなどの中東諸国との直接対話を拒否することになり、そのような方針が、北朝鮮に対して直接交渉を拒否するブッシュ政権の態度にも反映されてきた。
  イラク政策の誤りは戦闘の激化のために世界中の注目を集める結果になったが、北朝鮮政策の誤りは北朝鮮が核兵器を保有する事態を招いたといえる。
  米国が北朝鮮との直接交渉を拒否したことにより、中国がこの問題に関与せざるを得ない立場に立たたされた。しかしブッシュ大統領は当時、中国について、戦略的なパートナーではなく、競争相手と呼んでおり、1994年に成立した北朝鮮との枠組み合意も認めない立場をとっていたのである。
  そもそも枠組み合意では、北朝鮮が寧辺で進めていたプルトニウム生産が容易な黒鉛減速炉の活動を凍結する見返りに、軽水炉2基を建設し提供すると共に、完成までの代替エネルギーとして、年間50万トンの重油を供給することとなっていた。また北朝鮮はNPT(核拡散防止条約)のメンバーに復帰し、IAEA(国際原子力機関)の査察を受け入れることが義務付けられていた。したがって、核兵器製造のためにプルトニウムを抽出することはIAEAの監視下に置かれていたのである。
  しかし2002年に至り、米国は北朝鮮が濃縮ウラン型原爆の開発を行っていると非難し、それにより枠組み合意は崩れてしまった。北朝鮮はその非難を公式に否定したが、仮にその非難が当たっていたとしても、そのことは枠組み合意が北朝鮮によるプルトニウム型の核爆弾の開発を阻止するのに有効だったことを示していた。プルトニウム型の核の開発よりも、濃縮ウラン型原爆を作ることのほうが北朝鮮にとってははるかに長い時間を要したであろう。
  いずれにしてもブッシュ政権は2002年末に原油の供給を停止し、1年後にはKEDOが軽水炉に関する活動を休止した。案の定、北朝鮮はNPT脱退をはじめ一連の準備の後、寧辺の施設でプルトニウムの摘出を再開した。
  10月に爆発させた核はウランではなく、プルトニウムから作られたものであった。それを北朝鮮が作ることができたのは、ブッシュ政権が枠組み合意を破棄して、北朝鮮が1994年以来停止していた核開発プログラムを公に再開させる扉を開けてしまったためである。
  もし枠組み合意はそのままにして北朝鮮の違反について米国が交渉していたならば、北朝鮮は未だに核実験をやれるような状態ではなく、世界はもっと安全であったと思われる。
  その意味で、北朝鮮の核兵器はブッシュ政権からの贈り物といえよう。

英語の原文: "Giving Pyongyang the Bomb"
http://www.glocom.org/debates/20061215_ching_giving/
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