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注目記事 (2007/2/26)

Opinions:
 
「経済教育のあり方について」
 ウィリアム・コマナー (カリフォルニア大学サンタバーバラ校・ロサンゼルス校教授)
  
  最近日本でより多くの経済学者が、大学だけでなく小中高校のレベルでの「経済教育」の重要性を認識し、「経済教育ネットワーク」(http://www.econ-edu.net/)のような活動に参加していると聞いているがそれは好ましいことである。それについて米国での経済教育が日本のお手本になるという議論があるが、必ずしもそれに賛成できない。なぜなら米国でもまた他の国でも、経済教育とは何かについて明確な理解があるとは限らないからである。
  まず第1に指摘されるべきは、経済学は分析の「方法」であって、「対象」が問題なのではないということである。経済学を教えるというと、人は経済のことを教えると考えがちだが、それは誤りである。経済学を社会学や他の社会科学と区別するものは、それが扱う対象ではなく、希少な資源のあるどんな状況にも適用できるその分析方法にある。
   第2に、経済学では意思決定が制約条件のもとで行なわれることを強調する点が重要である。多くの人は、良い意思決定というのは何を達成したいかをよく考えることだと思っている。それは、最適な決定を行なうための経済学者の方法を理解していないことを意味する。このように経済学は制約条件を強調して、単なるばら色の夢を否定するので、昔から「憂鬱な科学」と呼ばれてきたのである。
  経済教育において、生徒たちには、意思決定の際は目的だけでなく制約条件をよく考慮するよう教えるべきである。より具体的にいえば、生徒たちに日常生活についても将来の職業選択についても、現実的な制約条件があることに気づくようにすべきであろう。
  日常生活では、自分がどれだけ自分自身で使える資金を持っているかを決めることから始める。また資金以外の制約条件、たとえば両親のような自分以外の人たちによって課される制約があることにも気づくべきである。
  将来の職業選択について、やりたいことの目的を決めることが重要なのはいうまでもない。しかし既に述べたように、それだけでは十分でない。制約条件を考慮せずに、「夢を追う」ことは無意味である。
  このような重要な側面が、日常生活についてであろうと将来の職業選択であろうと、意思決定には常に伴うということを教えてくれるのが経済学に他ならない。この面がほとんど評価されていないのは驚くべきことである。日本でも米国でも、また他の国でも、より多くの経済学者が経済教育に参加するにつれて、この状況が改善していくことを期待したい。

英語の原文: "Some Suggestions for Economic Education: Economics as Methodology"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20070226_comanor_some/
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