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注目記事(2007/6/4)

Opinions:
 
「安倍首相の『戦後体制からの脱却』の行方」
 石塚雅彦 (フォーリン・プレスセンター評議員)
  
  今では有名になった安倍首相の「美しい国、日本」という曖昧な言葉と同様に、もうひとつの不可解な言葉は、「戦後体制からの脱却」である。その曖昧さのために、多くの国民はどう対応していいか苦慮している。前者は比較的無害で理想主義的な発言と見なされるが、後者は国の将来や世界に置ける位置づけにかかわるので、その視点から明確にされなければならない言葉である。
  ひとつの問題は、安倍首相が「戦後体制」という言葉で何を意味するのか説明していないことである。ただ一点、憲法が敗戦後の占領下で外国である米国によって押し付けられたこと、そしてそのために内容にかかわらず憲法の改正が必要であることを主張している。
  安倍首相は祖父の岸信介に忠実であった。岸は1957年から60年まで首相を務め、日米安全保障条約を改定しようとしたが、反対運動で辞職した。実は、岸は純粋で熱烈な愛国主義者であり、敗戦によってもたらされた米国への従属に屈辱と憤りを感じていた。この岸の敗戦の感情は、中曽根康弘首相が受け継いだ。中曽根は80年代に首相を務め、日本人の敗戦の屈辱感を払拭し、米国からの独立を目指した。その視点から彼が安倍首相の主張を熱心に支持することも理解できるのである。
  しかし否定できない現実として、敗戦により日本は米国に半永久的に従属することになり、戦後この関係を強めることに腐心することになった。これこそ完全な降伏といえるであろう。戦後60年を経ても、まだ多くの米軍基地があり、数万の米兵が駐留していることが、その証拠であると指摘されてもしかたがない。
  戦後体制を明確にするために、これ以上何が必要であろうか。しかし安倍首相はこの根源的で厳しい問いに答えようとしておらず、国の新しい方向に言及する際にこの問題を意識しているかどうかさえも定かでない。国民が安倍政権を支持するかどうか迷っているのも、この問題に関する説明がないことが原因であり、いずれにしても将来この問題が安倍首相の命運を左右するであろう。確かなことは、日米関係、特に安全保障においてはその関係を変えることは不可能ではないかと日本国民が心の中で思っていることである。
  日本国民の大多数は戦後生まれであり、安倍氏も初めての戦後生まれの首相である。しかし、彼自身が唱える「戦後体制からの脱却」がどれだけ戦後世代の関心を引くか明らかでない。無関心、無知、迷いといったところがその答えかもしれない。いずれにしても、憲法改正も含めて、安倍首相が「戦後体制からの脱却」を説くことで明らかになったのは、軍事力の使用についてより率直に考えるようになり、教育改革によって国民が権力に対してより従順になるようにという強い希望に他ならない。
  ポスト戦後体制に対する安倍首相の探求が、国民の活力ある議論を生み出して国の再生を導くとは考えられない。むしろ、安倍首相が必要な資質やカリスマを持っていなかったとしても、蔓延する国民の無気力感をうまく利用することは可能であろう。この状況を象徴しているのが、質の低い国会答弁とマスコミ報道で、それらはお互いに悪循環に陥っているといえる。
  控えめで優しく見えるこのリーダーに対して国民が無関心の対応をしていることは、やがて危険な結果をもたらすと心配する人もかなりいるようである。憲法改正、集団的自衛権、教育改革など基本的で重要な問題を議論する意思も能力もない人が増えていることは、憂慮すべき事態といえるであろう。

英語の原文: "How Far will Abe Go in Defying Japan's 'Postwar Regime'?"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20070604_ishizuka_how/
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