日本では、「限界集落」という専門用語がいまや一般的に広く使われるよう
になっている。限界集落とは、人口の半数が65歳以上の高齢者となり、冠婚
葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことだが、もはや存続
が難しくなり消え去る運命にある。日本全体の少子高齢化を背景に地方の過
疎化が進み、このような集落の数が着実に増加しているのが現実で、国土交
通省によれば、全国にある集落の13%にあたる7837が限界集落と考えられ
る。
このような集落の「限界化」は、60〜70年代の高度成長期以来続いている若
者の都市への移住の結果といえる。雇用の機会が少ないこともあり、若者が
村から出て行ってしまうと、過疎化により村の生活が不便になり、それが過
疎化に拍車をかけるという悪循環に陥っている。
例えば新潟県には、35の限界集落があり、そこでは誰も住まない廃家が目
立っている。また100年以上の伝統のある学校も、生徒数の減少により次々
と廃校に追い込まれているのは残念な限りである。当然のことながら、この
ような集落を含む村の財政は非常に苦しく、事実上破綻しており、中央政府
からの補助金か借金によってかろうじて存続している状況といえる。
中央政府による道路建設のような公共事業は、農業だけでは十分でない雇用
や所得を補助するものであったが、小泉改革で削減され、深刻な打撃となっ
ている。また地方政府も、農山道の整備や除雪などの公共事業によって地元
にある数多くの小規模な建設会社を支えてきたが、そのような公共投資も補
助金も地方財政の悪化とともに維持不可能となってきている。
地方の急激な衰退は、日本全体の経済社会における格差の拡大とほぼ軌を一
にしている。格差の解消策について議論はなされているが、簡単に解決する
ような問題ではない。一説によれば、地方から大都市への人口流出を止める
ことはできず、経済効率からみれば東京のような大都市への人口集中は自然
で不可避な動きなので止めるべきではなく、むしろ推進すべきであるとい
う。これはグローバルな競争にさらされた結果でもあり、そうしなければ国
全体の効率性や競争力は高まらず、そのために格差がさらに拡大することも
やむをえないとされる。
このような説は一理あるかもしれないが、バランスの取れた幸福や多様なラ
イフスタイルという視点から、経済効率以外の何かを考えることも必要では
ないだろうか。少なくとも、大都市に人口集中が続き、限界集落がすべて消
滅する過度期に過疎地に暮らし続ける人たちを支えなければならない。しか
し、ここで問われるべきは、はたして東京への人口一極集中と見捨てられ荒
廃した地方という状態で、日本が真に繁栄できるのだろうかということであ
る。
英語の原文:
"Rural Decay a Black Cloud over Drive for Competitiveness"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20070702_ishizuka_rural/