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注目記事(2007/10/31)

Opinions:
 
「日本の不十分な対ミャンマー外交の背景」
 石塚雅彦 (フォーリンプレスセンター評議員)
  
  今年8月にヤンゴンで起きた仏教徒と市民による大規模な民主化デモに対し、各国のメディアはミャンマー軍事独裁政権を非難する多くの意見やコメントを報道し、西側諸国、国際連合やNGOは、軍事政権に対し民主化運動への弾圧を止め、民衆の要求に耳を傾けるよう警告して抗議声明を発表した。しかし、これまでのところ、軍事政権から妥協を引き出す動きはあまり成果を上げていないように見える。ミャンマーの軍上層部は、経済的および戦略的利害関係にある中国、インド、タイなどの隣国から支援を受けているためか、動じる様子もない。
  日本政府のスタンスは、米国を始めとする強硬派と中国に代表される穏健派の間で、どちらつかずの立場をとっている。ところが日本は、ミャンマーの独裁政権を強く支持する中国よりも長くミャンマーとの友好的な外交の歴史を持っているのである。そのような日本のミャンマー外交は、日本がビルマとの戦後賠償協定に調印した1950年代から始まっている。その後、1988年の民主化運動で約3千人が殺害され、1990年の総選挙で国民民主連盟が大勝したにもかかわらず、アウン・サン・スーチー女史が拘束された後も、日本はミャンマーに対して抗議しただけで、人道的援助と称して支援を続けた。
  今回もジャーナリスト長井健司氏がミャンマー軍部によって射殺されたにも関わらず、日本政府のミャンマー軍事政権への怒りは充分ではないようにみえる。日本国内のメディアは日本政府のスタンスに不満を表明したが、政府はトップの政治家でなく、外務省高官をミャンマーに送っただけであった。
  「ビルマの竪琴」という有名な小説がある。この小説は大きな影響力をもち、これまで二度映画化されて、ビルマに対する日本人の印象の形成に貢献した。実際にビルマの村落の人々が、敵であるにもかかわらず傷ついた日本兵を介護したことは、生き残った日本兵からの話しで有名であり、またビルマ人は、仏教に基づく慈悲に恵まれた優しさを持つことも確かであるが、日本人が自分たちの想像や幻想をふくらませてしまったことも否めない。
  もうひとつの歴史的に重要な事実は、ビルマ軍指導部と戦前の日本軍との関係である。最も有名なエピソードは、アウン・サン・スー・チー女史の父であるアウン・サン将軍が戦友とともに、イギリス軍からの独立を図る旧日本軍と一緒に訓練を受けたことである。その後も1962年にクーデターによって権力を手にし、現在へ至る軍事政権を築いたネー・ウィンと軍事指導部は、日本軍の訓練を受けたこともあり、日本に親近感を抱いている。
  以上のような要因が、日本のミャンマー政権へのスタンスに影響を与えているといえるであろう。日本政府はミャンマーの軍部と対話をすることができるし、またそうすべきと思っているようであるが、そのような考えは現実には通用せず、新たな展開が必要なことに気付くのは時間の問題である。我々は、ビルマの竪琴にだけでなく、ミャンマー市民の声にも耳を傾け、しかるべく今日の現実に対処する必要がある。

英語の原文: "Low-key Response to Myanmarese Lament Rooted in History"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20071031_ishizuka_low/
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