日本で今、経済格差が問題になっており、次の総選挙の重要な論点となっているようにみえる。この格差について、市場での競争原理を強調した「小泉改革」が根本原因という見方が支配的になっているようである。
しかしながら歴史的な観点からすると、日本には昔からかなりの格差があったといえる。ただ、人々がそれを格差だと認識しなかった。例えば、昔からパートの女性の賃金は低く、主婦の内職は信じられないような低報酬でやっていた。しかし、たとえ奥さんが低賃金でも旦那さんが人並みに稼いでいれば、格差問題は生じなかった。ところがだんだん婚姻率が下がり、特に90年代からは結婚しない女性が急増し、パートの低賃金という現実がよく見えるようになった。さらに90年代の不況下、大企業のサラリーマンの子供、その友人層まできちんとした職につけなくなり、同じ家庭、親族の中まで貧富の差が入り込んできて、格差が社会問題化したのである。
一般的な通念に反して、「小泉改革」と格差拡大はそれほど関係がない。一見すると、小泉政権下、企業所得における労働分配率は一貫して減少しており、大企業と中小企業、正社員と非正規社員の格差が広がったように見えることは確かであろう。しかし、非正規雇用の新制度ができる以前から、企業にはパートを雇うという選択があり、小泉改革で企業側の自由度が増したために、結果として格差が増した面があるが、それは格差問題の本質ではない。むしろ、小泉政権下で景気が回復していく過程で、若者の雇用が改善し、若年層の正規と非正規の格差は縮小したはずである。また、小泉改革の結果として、補助金バラマキはかなり縮小したが、それで地方格差が生まれたと捉えるのは、格差問題の本質から外れているように思える。
またよく指摘されるように、経済のグローバル化の影響が、日本国内の格差を拡大している面があることも確かである。しかし日本の場合、その悪影響が特に若年層に集中的にしているとすれば、その理由は、グローバル化による国際競争の激化そのものにあるというよりも、むしろ日本に生き続けている終身雇用や年功序列の制度にあるのではないか。企業には「雇用責任」があるが、日本の場合、それは新規雇用を行う責任ではなく、すでに雇っている人をクビにしないという方向の責任になっている。この日本的なシステムのせいで、若年層にしわ寄せが行っているのである。
日本の政治家も若年層をおろそかにして、高齢者の顔色ばかりを見ている。いまや自民党も民主党も半分くらい「老人党」になってしまった感がある。今後も人口の多い高齢者におもねった政策が出てくる危険性は否定できない。特に、消費税率引き上げのような増税によって年金給付金を増やすという路線がますます強まるかもしれない。しかし、現在は65歳以上の人の消費総額は全消費額の28パーセント程度であるが、これから高齢者がますます増えて、そのうち高齢者の消費額の比率は50パーセントを超えるであろう。つまり、消費税率にあわせて年金給付を増やしたら、増税の意味がなくなってしまう。このような厳しい現実に向き合う政治家がほとんどいない。
高齢者が安心した老後を送るためには、まずは子供たちをきちんと教育して、一人前の社会人に育てることであり、そのために教育と雇用を優先すべきであるが、今は他人の子供に課税して高齢者の生活が安泰になるかのようなシステムができあがりつつある。本来の「保守主義」であれば、次の世代を育てて、財産を残していこうという理念が支配すべきであるが、今の「保守政治家」の言動にこのような姿勢を感じられないのは残念である。次の総選挙では、このような点に注意を払っていきたいものである。
英語の原文:
Economic Disparities Caused by Japanese System
http://www.glocom.org/opinions/essays/20081110_harada_disparity/