「先制攻撃的財政出動でバランスシート不況克服を」
リチャード・クー (野村総合研究所主席研究員)
オリジナルの英文:
"Preemptive Strike to Deal with Balance-Sheet Recession"
http://www.glocom.org/opinions/essays/200212_koo_preemptive/
要 旨
誤った優先順位
小泉政権が構造改革の旗を掲げて登場してから1年半がたった。その経済運営を見てみると、この政権のもとで経済が回復することは期待できないと確信するに至った。その理由は、彼らが治癒しようとしている病気は、日本経済が実際にかかっている病気とはまったく異なるからである。
現在の日本経済は、「肺炎」と「糖尿病」という2つの病気を併発している状態に例えられる。その場合、肺炎を優先的に治して患者の命を救い、その後で糖尿病に取り組むべきことはいうまでもない。ところが今小泉政権は不良債権問題を含む構造問題という糖尿病の治療に腐心していて、バランスシート不況という肺炎にかかっているという認識すらないのである。
バランスシート不況の深刻さ
ここでバランスシート不況の深刻さを強調しておきたい。通常ならば企業は利益やマーケットシェアを最大化するために資金を借りて投資するはずであるが、今日の日本では資金を借りて投資を行おうとせず、むしろ借金返済に精を出している。具体的には、日本企業は全体として年間20兆円、GDP比で4%もの資金を借金返済に回している。
一方、家計はいまだに年間20〜30兆円の貯蓄を続けており、本来ならばそれを企業が借りるところを、企業はゼロの金利でも借りない。これはどのような経済学の教科書にも載っていない、きわめて危険な状況であるといえる。
このような特異なバランスシート不況が発生した原因は、1990年のバブル崩壊で、土地や株などの資産価格が大暴落したことである。例えば、商業用不動産は全国平均でピークから85%も下落したが、それは借金で買っているので、企業は債務超過のような状態に陥ってしまった。そこで誰もが借金を減らす行動に出て、バランスシート不況になったわけである。
有効でない金融政策
バランスシート不況では、みな同時に借金返済に走るから需要が減る。需要が減ると株価が下がり、地価も下落して、さらに企業の要返済額を膨らませるという悪循環に陥る。
これを解決する方法は明白である。政府は企業に借金返済を止めろとは言えないので、政府が自ら需要のギャップを埋めるしかない。われわれはそのことを1930年代の大恐慌の時代に学んでいるはずである。
重要なのは、早く企業のバランスシートがきれいになるような環境を政府が経済を刺激して作り出すことである。企業部門が借りない分を政府が借金して支出すれば、経済は安定を取り戻し、景気の悪化を食い止めることができる。
このギャップを埋めるのには通常、財政政策と金融政策の2つの手段があるが、バランスシート不況の場合は残念ながら金融政策を効かない。大半の企業が借金の返済を必死にやっているときに、仮に金利をゼロの近くまで下げたとしても、資金を借りるはずがないからである。これは大恐慌時代にあった「流動性の罠」と同じ状況である。
また「30社リストや50社リスト」なるものが出回って、これらの企業を潰せば不良債権問題は解決するかのように言っている大臣もいるようであるが、仮に何社かを潰しても残りの数百万社の企業が借金返済を止めることはない。それどころか、次の標的になることを避けるために、各企業はさらに一層借金返済に精を出すことになり、その結果、景気はますます悪化するであろう。
先制攻撃的な財政政策を
不良債権処理も金融政策も効かないとなれば、企業のバランスシートを最小のコストできれいにすることができる政策は、やはり財政政策しかない。企業がゼロ金利でも借金返済に走っている状況では、政府が家計の貯蓄と企業の投資の間のギャップを埋めるために借金をして支出する以外にない。
しかし、このような財政政策に対して、「すでに財政政策では30兆円で出しているが、効果が上がっていない」という意見が出ている。たしかにそうであるが、問題はそのやり方である。バランスシート不況では、「先制攻撃」がもっとも重要になる。傷口が小さい段階で先制的に動いたほうが、結果的にコストは抑えられる。
小泉首相はそれとちょうど逆のことをやっており、傷口が大きく開いてからデフレ対策などやっている。もし政府が昨年景気刺激策を取っていたら、今頃は景気はよくなって、株価の下落も防げたはずである。
この「先制攻撃」のやり方については、2001年9月11日以降の米国の政策から学ぶものが大きい。グリーンスパンFRB議長やルービン元財務長官などが経済の悪循環を止めるために「先制攻撃」的な財政政策を行うべきと主張した。そのために米国経済は深刻なダメージを受けなくてすんだのである。この点を米国から学んで、日本政府も「先制攻撃」となるような規模の財政政策を今すぐ実行すべきなのである。
超過需要状態を作り出す方法
さらに財政出動の方法についても考える必要がある。財政出動の効果を上げて、超過需要の状態を生み出すために、例えば公共事業の納期の短縮を考えたらいいのではないか。もしすべての公共事業を凍結したら、そこで発生する損失は過去に作ったものを含めて膨大な金額となる。そこで、工期を半減するという条件を付けて、残った工事のなかで有意義なものは一気に完成されるというのはどうだろうか。
例えば、計画された高速道路のうち利用頻度がもっとも少ない2割の路線をカットして、残りの8割に対しては、当初予算を付ける代わりに、工期を半分にすることを要求するのである。そうすれば機材などが一気に不足して、戦争時の政府支出と同様に、すべてが好循環に入っていく可能性が出てくる。
そうなれば、さらに次世代プロジェクトも全額出すが、工期は半分で起こし、この勢いが少なくとも3〜4年は失われないようにする。そうすれば、望んだとおりにインフレ気味になるであろう。
これは極端な提案と思われるかもしれないが、どうせ財政出動が必要ならば、このくらい大胆な政策をとって、需要超過の世界をつくるようにすべきである。このように資源がフルに活用される需要超過の状態は、現在のような資源が遊休して供給過剰の状態よりもはるかに望ましい。このようにして企業がバランスシート問題を解決した後に「糖尿病」の治療に専念して、規制緩和や民営化など構造改革を推進すべきなのである。
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