日本と発展途上国:対等でない関係
モンズール・ハク (東京特派員、バングラデシュ)
オリジナルの英文:
"Japan and the Developing World; the Unequal Equals"
http://www.glocom.org/opinions/essays/200302_huq_japan/
要 旨
他人種や他国に対するパーセプション
他人種や他国に対するパーセプションは、科学技術の発達とともに大きく変わってきている。その手段がイメージを現実に近づける役割を果たすからである。ただし、科学技術が発達しても、その成果は不均等にしか実現せず、貧富の差などがますます拡大していて、それが他の人種や国家に対するイメージを大きく左右することは確かであろう。
さらに人々の社会的、イデオロギー的、道徳的立場によっても他の人種や国家に対するイメージは変わってくる。また情報技術の発達は、離れた地域の人々の間をより近づける役割を果たすが、それが一部の富裕層のみに利用されていて、貧困層は日々の生存で手一杯な状態が続いている。
しかしながら、最近の調査によれば、テレビの浸透は世界的な規模で進んでおり、貧困の壁を破って発展途上国にも大きな影響力を持っていることが知られている。特にアジアや中東のテレビの保有台数は驚くほど伸びており、アフリカではまだ遅れているものの今後ともテレビの影響は強まり、先進国の状況が最貧国の家庭にまで届く時代になっているのである。
どれだけの人がテレビを見ているかについては把握が難しいが、テレビ台数は、1980年以来3倍になっており、1996年には14億台を数え、特にアジアでの伸び率が一番高くなっている。さらにいくつかの発展途上国では、多くの人が一台のテレビを囲んで見ているので、実際にはテレビの台数をはるかに上回る人がテレビを見ていることが考えられる。
発展途上国から見た日本
テレビを見た印象は、その国の人の社会的状況によって異なるであろう。最貧国の貧困者が米国のドラマ「ダラス」を見たり、インド映画に人気が集まるのは、現実から逃れて「夢を求める」という心理的な現象と考えられる。これに対して数少ない例外は、日本のドラマ「おしん」で、これはバングラデシュでもイランでも大人気であったが、その理由は、おしんという少女の苦しい生活に、自分たちの苦しい生活を重ね合わせて共感できるものが多かったからであろう。
発展途上国の多くの人にとっては、日本との遭遇、あるいはビジュアル化された日本の出来事との遭遇は、西側の見方を通じて起こる。これは貧しい層にとっても、教育を受けて影響力のある富裕層にとっても同じである。遠い外国に関する情報は、もっぱら数少ないニュース社によって放映される。日本の改革に関する政策論争や摩擦などについて、例えばバングラデシュのテレビ試聴者は、米国、英国、フランスなどのニュース社を通じて知ることができる。
東京で生活し、オフィスを維持する費用が高いことは、発展途上国からごく僅かの数の特派員しか東京に駐在できない理由となっている。しかし、日本の国際社会での重要性に鑑みると、日本のニュースを流さざるを得ないので、そのために発展途上国は、ロイターやAP通信、AFP通信など国際的なニュース・メディアに依存することとなり、西側の見方に左右されることになる。ちなみに2002年に、東京で公式に登録された外国人特派員が900人ほどである中で、発展途上国からは、11の国を代表する33名の特派員しかいないのが現実なのである。
日本の問題:いくつかの例
日本が発展途上国に資金的な援助を行っており、バングラデシュなどの発展を支援しているが、その際にいくつかの問題点が指摘できる。まず、あまりに経済的援助だけを強調するのは日本に対するイメージを歪める恐れがある。日本の豊かな文化や文学、音楽といった分野の貢献が、二国間の経済的利害関係の強さによってかすんでしまう。教育や研究の分野でさえも、援助の量的拡大ばかりが追及されて、質的な高さをおろそかにする傾向が見られる。
例えば、日本で医学の勉強をしたバングラデシュの学生が、日本で取得した学位をバングラデシュに戻った際に、専門家の委員会で認めてもらえなかったということが起こった。その理由は、日本の大学の入学基準のレベルが低く、質の悪い学生が入学を許されていることにあったようである。この様な問題は単に発展途上国から留学した学生に対して起こっているだけではなく、日本国内でも起こっている。例えば、あの鈴木宗雄の秘書と名乗るコンゴ人がいくつかの大学と関係していたことを思い起こす人も多いであろう。
もう一つの例は、JICAがPR活動の一環としてバングラデシュに、伊達公子元プロテニス選手を送って、「貧しい」子供たちにテニスを教えるというキャンペーンを行ったことである。バングラデシュは、テニスコートはごく少数の富裕層のために取られているので、この企画は特権階級の子弟のためにしかならなかったといえる。
さらに日本が一方的な経済援助関係をもっていることで国際関係が歪められた例としては、国際商業捕鯨委員会で、捕鯨に無関係なモンゴルが日本の援助ほしさに日本の捕鯨を支持する立場を取ったことがあり、そのような日本の「買収行為」が公に非難されている。
結論
色々と問題はあるが、それでも発展途上国での日本のイメージはおおむね良好で、日本は短期間で素晴らしいことを成し遂げる国とみなされており、海外援助を受ける立場から行う立場に転換した唯一の国として、発展途上国に対する一つのモデルになっている。
しかし、この日本モデルはそのままでは現在の発展途上国に適用できない。なぜなら、日本は経済的発展以前に、教育などの社会改革によって多くの人が経済発展に参加し、その分け前にあずかれるような状況になっていたからである。今の発展途上国で人的な育成が一種のぜいたく品とみなされているような状況では、日本モデルは実際に機能しないであろう。
最後に、発展途上国は、日本の経済危機を不安な目で見守っている。この危機は日本の海外援助予算を削減する方向に働くことは確実であり、日本から多額の援助を受けている国にとっては死活問題である。この意味で、日本経済が今後どうなっていくかは発展途上国にとって他人ごとではないといえる。
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