「戦後」イラクに対する日本の貢献
白石 隆 (京都大学教授)
オリジナルの英文:
"Japan's Contribution to 'Post-War' Iraq"
http://www.glocom.org/opinions/essays/200303_shiraishi_japan/
要 旨
米国による対イラク戦争
米国のイラクに対する武力行使があるとすれば、その目的は何であろうか。米国としてはイラクの大量破壊兵器の拡散防止を行うことだけが目的ではない。米国の戦争目的はあくまでイラクにおけるサダム・フセイン独裁体制の打倒にある。実際に、湾岸戦争以来米国政府は、イラクの大量破壊兵器封じ込めの国際的合意の維持と、サダム・フセイン体制打倒の間の政策的ジレンマに直面してきた。当初、米国は国際的な制裁によってフセイン体制がいずれ崩壊することを望んだが、それはならずむしろその代わり封じ込めの国際的合意が崩れていった。
こうしてみれば、米国政府が9月11日事件を、イラク問題処理の絶好の機会と捉えたことも理解できるであろう。「ならずもの」国家が大量破壊兵器を持つこと自体、地域の秩序と安定に対する大きな脅威である。仮にそのような兵器がアル・カイダのようなテロ集団に提供されれば、米国にとっても深刻な脅威となる。一方、9月11日事件は戦争の政治的コストを削減し、またアフガニスタンの戦争で米国の軍事力の圧倒的優位も明らかになったので、米国政府はイラクのサダム・フセイン体制の打倒を、テロとの戦争の一環として目的化するようになったのである。
戦後のイラクと中東情勢
米国が対イラク戦争に勝利し、サダム・フセイン独裁体制が打倒されることはまず間違いない。しかし、その後イラク、さらに中東にどんな秩序を作るのかが問題である。それに関連して大きく3点、常に指摘されることがある。
その一つは、イラクの原油である。イラクはサウジアラビアに次いで世界第二の原油埋蔵量を持つ。第二は、イラクは「ならずもの」国家かもしれないが、アフガニスタンのような「破綻」国家ではないことである。イラクの国家機構は厳として存在し、サダム・フセインの運転するところとなっている。第三は、サウジアラビアの長期的な政治的安定についての不安である。サウジアラビア人のテロリストが米国ばかりでなく、サウジアラビアの体制を脅かすようになっている。
そこで、かつて第二次大戦後、日本やドイツで行ったように、戦後の改革と復興によってイラクを米国の同盟国として再建することが、一つの可能性であろう。そして、仮にサウジアラビアにイスラム革命が起こった場合に、原油の供給基地として、また兵站基地として重要な役割を果たす戦後のイラクをジュニア・パートナーに、中東の地域秩序を構築していくという答えがありうる。
ただし、このような戦後構想が本当にうまくいくものかどうか、またどれほどのコストと時間のかかるものか、それは誰にも分からない。やってみたら、うまくいかなかったという可能性も十分ありうる。フセイン独裁体制の崩壊とともに、イラク解体の危機、地域秩序のさらなる不安定化が起こるかもしれない。
大義のための貢献を
ではどうすればいいのか。もっとも重要なことは、イラクにおける戦後体制の構築、中東地域の新しい秩序の構築が、米国とその同盟国の共同のグローバル・プロジェクトであることを確認し、そのための国際的な協力体制を作ることである。
冷戦が終了して十余年、湾岸戦争、ユーゴスラビアの危機、アフガニスタンの戦争などによって、正義、平和、自由、人権といった普遍的価値の名の下に、新しい国際規範と慣行が形成されつつある。
外交において国益はもちろん重要であるが、しかしイラクの戦後体制の構築に際し、支援の見返りにただ利権ばかりを求めるようなことはすべきでない。そうではなく、普遍的価値の名の下に、民主主義と法の支配に基づく秩序を構築するよう最大限努力すべきである。そういう大義のために日本として貢献すること、それが中東においても、その他の地域においても日本の果たすべき役割であろう。
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