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新世紀が求める日本の『資本主義精神』

猪木武徳 (国際日本文化研究センター教授)


オリジナルの英文:
"The New Century Demands Japan's 'Spirit of Capitalism'"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20030619_inoki_new/


要 旨


21世紀はまだ二年半を過ぎたばかりであり、今後日本と世界の経済がどのような方向に進んで行くのか予測は困難であるが、現在、人間社会が抱えている潜在的な問題を考えておくことは必要である。そして、長期的な観点に立てば、将来を左右するのは、資源でも技術でもなく、最終的に人間の「心のかたち」ではないかと思われる。


経済、政治、文化を動かすのは個々の人間である。人間の「やる気」が文明を発展させてきた。この「やる気」は、自由な言論と自由な経済活動によるものであり、人と人が接するところに生まれる。しかし、通信技術の飛躍的な発展は、人と人とが直接接する機会を奪うことにより、社会の「気力」を減退させるという面もある。


「やる気」をそぐ要因も現れている。一つは、日本人の多くがすでにほどほどに豊かになっていることから、勤労による収入増よりも余暇の過ごし方に関心が移っており、一般的なやる気が低下していることである。もう一つは情報化や複製技術の進歩により、たとえば世界の最高水準というものが目の当たりにできるようになったことである。これが、若者による「未知への挑戦」に対する意欲をそいでしまっている。


民主主義社会では、個々人の判断力が問われるが、エネルギーや環境の問題、あるいは生命科学や安全対策のような、高度の知識を前提とした上での倫理的な判断を要する問題が増えてきている。この点で日本では良質の教育が欠落している。一方で、危機や災害に対しての完璧な対策は、市民的自由と両立しないことが多い。倫理問題の深刻さに悩みつつ、知性の水準を上げることにより、よき社会の到来を待ち望む、という姿勢が新世紀に必要とされる「資本主義の精神」ではないか。

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