近代社会の進化論:ラストモダンの視点
公文俊平 (国際大学GLOCOM所長)
オリジナルの英文:
"An Evolutionary View of Modernization: The Last Modern Perspective"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20030728_kumon_evolutionary/
要 旨
今日のグローバルな社会は、さまざまな面で同時に大きな変化を経験しつつある。多くの人はこの変化を近代(モダン)文明から脱近代(ポストモダン)文明への移行と捉えている。例えば、アルビン・トフラーは、第一の波である農業革命および第二の波である産業革命に次ぐ第三の波としての情報革命について述べている。このような見方は、典型的な「前近代・近代・脱近代」の三分法を採用しているだけでなく、文明の進化について高度に技術的・経済的な視点をとっているといえる。
しかし、文明はまた思想や宗教によっても推進される。例えば、前近代的なアラブ、スラブ、インドおよび中国文明は、技術的というよりも宗教的な傾向をより強く持っている。このことから、もし我々が本当に脱近代の時代に入りつつあるのであれば、今日の近代文明に続く文明はむしろ思想的・宗教的な傾向が強くなると考えられる。
それでは、今日の変化の過程で何が起こっているのであろうか。明らかに、それは科学技術の急速な進歩と我々の対話と協働の能力の向上である。たとえ物質的な進歩が限りなく続くかどうか疑問を抱くことがあったとしても、ほとんどの人が自分たちの知力が増進し続けると信じて疑わない。そのために、まだ我々は近代(モダン)の時代にいるというべきである。実際に、我々は急速に近代文明の最終段階(成熟段階)に入りつつあり、それと同時に脱近代(ポストモダン)文明が徐々に生まれつつあるのではないか。したがって、これを「ラストモダン」(近代末期)の視点と呼ぶことにする。
結論として、近代文明が20世紀の中盤以降、成熟段階に入ったと考えられる。その意味するところは以下のようなものである。
(1)近代文明が成熟するにつれて、次の知的文明が徐々に姿を見せ始めているが、新しい文明が姿を現すまでには、まだだいぶ時間がかかる。
(2)その間、近代文明の成熟は、「情報化」という新しい智力増進の方法を生み出した。したがって、現在は「ポストモダン」(脱近代)というよりも「ラストモダン」(近代末期)の時代というのがより適当であろう。
(3)しかし、近代化の突破期である「産業化」が完全に終わったわけではない。実際に「産業化」それ自体は第三次産業革命として成熟しつつあり、「情報化」の出現と重なり合っている。
(4)第三次産業革命に関しては、二つの過程が同時に進行している。第一は、その成熟の過程のなかでは突破期に入っており、新しいリーディング産業を生み出しつつあり、第二として、コンピューター産業に先導された成熟期を迎え、無線インターネットやユビキタス携帯端末とその多様な応用に基づいた汎コンピューター時代に入っている。
(5)情報化に関しては、第一次情報革命として出現期にあり、二つの過程が同時に進行している。第一は、その出現の過程のなかでは突破期に入っており、新しい社会的ゲームである「智のゲーム」を生み出しつつあり、第二として、ネチズンやNGOおよびNPOに先導された成熟期に向かって、新しいタイプのネチズンである「スマートな群衆」(ハワード・ラインゴールドの命名による)が生まれて、新たに創造された携帯・無線の通信インフラや端末を利用して自分達の間の対話や共働を促進し、最終的に社会的・政治的な革命、つまり「ネチズン革命」を成し遂げようとしている。
この革命の重要な問題点は、誰がいかに複雑な情報インフラと端末とアプリケーションを作り出して統治し、「アイデア革新」を自由に起こすとともに、その成果をできるだけ平等に分けることを可能にするかということである。このような視点に立つと、なぜ以下の二つの問題が戦略的に重要か分かってくる。第一はどのように周波数が分配され利用されるべきかという問題であり、第二はいかに情報社会の基本的な社会的権利である「情報権」、つまりプライバシー、安全性、優先権などを定義して運営し、近代文明の中核をなす他の社会的権利である主権や財産権などと調整を行うべきかという問題である。
(抄訳:宮尾尊弘)
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