日本の決断:なぜイラク派兵か
猪口 孝 (東京大学教授)
オリジナルの英文:
"War on Terrorism in Southeast Asia"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20030815_inoguchi_japanese/
要 旨
グローバルな役割を模索する日本
まず指摘すべき重要なことは、小泉首相が米英同盟軍のイラク攻撃を支持した理由は、1991年の湾岸戦争以来イラクが多くの国連決議を一貫して無視してきたために、国際法に則ってイラクに罰を加えたのであって、決して予防的攻撃の考え方を支持したわけではないということである。
したがって、同盟軍への支持の表明は特筆すべきことではあるが、日本として軍事行動を積極的に支持したわけではなかった。しかしイラク戦争後、小泉政権はより思い切った行動をとり、イラクの社会経済的復興を支援するために自衛隊を派遣するための立法措置をとるに至った。なぜ日本は戦争を非難し海外での軍事行動を禁じた憲法があるにもかかわらず、海外派兵を決定したのだろうか。
イラク派兵の決断は、日本が世界の中で自分自身の役割を決めようとする大きな文脈の中で理解するのが最も実り多い見方であると私は考える。そのように自分自身の役割を決めることは、通常は国内の政治力学と対外的な戦略・地政学的条件とを結びつける役割をもつが、日本の場合は過去20年にわたる変遷をその背景としている。
グローバルな正義を求める日本
2001年9月11日を境に、日本はグローバルな役割を求める新しい段階に突入した。同時多発テロ事件以来、日本はこれまでにない種類と規模のテロと戦うためのグループに加わったが、これは世界秩序という要素と、正義という要素を結びつけたという意味で日本にとって非常に重要な新しい役割であるといえる。
日本のそれまでの役割、つまり国際体制を支持する国家あるいはグローバルな文民大国といった役割は、米国主導の国際秩序を前提としていた。そのような秩序の維持を支援するということでは、日本の選択は単に支援を強めるか弱めるかということに過ぎなかった。
しかし、9月11日のテロ事件以降は、日本は2つの相対立する選択に迫られるようになった。つまり米国主導の反テロ戦線に加わるか、あるいはより強制力の少ない国連による制裁の立場を取るかという選択である。もちろん日本は、米国、G8、および西側諸国全般が共有する価値や規範を実質的に強化しようとしてきた。しかし今回日本は、どちらの行動がより大きな正義とより小さな悪をもたらすかについて選択をしなければならない。かくして、正義についての判断が、これまでにないほど全面的かつ明確に日本の外交にとっての課題として浮き彫りにされてきたのである。
新しいグローバルな関係の中での日本
小泉首相は2003年9月に自民党の総裁選挙に直面する。また次の総選挙がこの11月にもあると言われている。最近、民主党と自由党という2つの主要な野党が合体して、自民党から政権を奪い取ろうという動きをみせている。総選挙での主な論点は、経済と外交政策、特に北朝鮮、イラク、イランの「悪の枢軸」に対する政策であろう。
イラク戦争を正当化するために諜報活動を歪曲して情報をでっち上げたという問題は、米国と英国の政府にとって頭痛の種になっているが、日本の政府にとっては大きな問題になっていない。これは最初に指摘したとおり、小泉首相がイラク戦争を支持する理由として、イラクが1991年以来国連決議を一貫して無視してきたことを強調したからであり、この点がブッシュ大統領に対しても(2003年5月のテキサス・クロフォードでの会談で)日本としてイラクの戦後の経済復興支援だけを約束したことによってさらに強化されたからである。それにもかかわらず、痛みをともなったイラク戦争と戦後の状況を見る時、日本がグローバルな政治における正義という、いまだ未知で意見の分かれる分野に足を踏み入れたことだけは確かであろう。
(抄訳:宮尾尊弘)
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