進化する雇用環境の形態
清家 篤 (慶應義塾大学商学部教授)
オリジナルの英文:
"The Evolving Shape of the Job Environment"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20030901_seike_evolving/
要 旨
今後の社会の変革は、日本の雇用環境に大きな影響を与えるであろう。中でも最も大きな変化は、高齢化である。高齢化社会に備えるためには、現在の雇用システムと慣行に組み込まれている年功序列制度は廃止されなければならない。
労働力を確保し社会補償を維持するためにも、意欲と能力がある人には、より高い年齢まで働いてもらわなければならない。この事情は高齢化しつつある他の先進国でも同様であるが、日本にとって幸運なのは、多くの高齢者が働く意欲を有していることである。これらの人たちがより長く意義ある仕事に就いてくれれば、若年者の減少により労働力の不足や社会補償制度の崩壊を防ぐことが出来るであろう。
定年制の見直し
しかし現在の雇用システムは、このような社会の要請も就業を希望する高齢者のニーズを満たしていない。最大の問題は、定年制である。労働者本人の意思に関わり無く引退を強要するこの制度は、明らかに時代遅れである。厚生労働省によれば、30人以上を雇用する企業の90%が定年制を採用しており、そのうち90%は法令で許容された最低年齢である60歳を定年としている。
企業が引退を強要していては、生涯を通じて社会と関わりあうという理想は達成不可能である。最低限、公的年金の支給年齢が引き上げられる65歳までは定年を延長すべきである。
しかしながら、企業側にも言い分がある。一つは、年功序列制度の下では、高齢者の人件費が非常に高くなってしまうことである。もう一つは、これも年功序列制度により、役職者のポジションが高齢者に占領されてしまうことである。企業としては、何とか高齢者に去ってもらわないと、人件費に圧迫され、若い人の昇進も適わなくなる。このことは即ち、高齢者により長く働いてもらうためにこそ、年功序列制度は根本的に見直されなくてはならないということである。
付加価値競争の時代
もう一つ日本の雇用環境の変革を迫っているのは、競争社会の進展である。日本の賃金水準は世界最高に達してしまったが、この水準を維持するためには、企業は高付加価値の製品・サービスを提供しなければならない。従来であれば、雇用を維持しながら既存製品の品質を高めることで対応できたものが、今や消費者が気が付かなかったようなまったく新しい価値を付加する必要がある、言わば付加価値競争の時代に入っている。
この新しい時代にあっては、生産や販売に携わる労働者は、提供する商品に高い付加価値が存在する限りにおいてしか就業を保証されなくなる。一方企業にとっては、優秀な人材を集めるための魅力的な就業環境を用意しなくてはならない。つまり優秀な人材には十分に報いる必要がある。個々の就業者の賃金・昇進・その他の待遇は、商品に価値を付加する能力に応じて大きな較差が出てこよう。
市場価値をもつ技術の習得
このような雇用環境の変化にともない、雇用の安定という概念も変わってくる。自らの意思と能力で就業することが一般化すれば、より高齢になっても働くことが出来る。公的年金の支給年齢が引き上げられて行く中で、60歳代半ばまで働く人が増えてくるであろう。
個別の会社にとっては、競争の激化が労働者に対し長期の雇用を保証することを困難にしている。付加価値競争の中では、企業は優秀な人材を失う危険を常に有しており、繁栄と没落の周期が短くなるであろう。いくら経営者が全員雇用の方針を維持しようとしても、会社が倒産してしまえば全員が一度に雇用競争に晒されることになってしまう。
従来は、雇用の安定は各企業単位で図られていた。しかしこれからは、市場を通じての安定を考えなくてはならない。雇用の安定は、労働者が雇用を維持することができない会社から、積極的に人材を募集する会社に移るという形で、労働市場全体で維持されることになる。
このような仕組みの中では、個々の労働者は市場価値を持つ技術を常に磨いておく必要がある。このため、企業側としても、労働者の技術水準を維持しておくことは、社会的責任であるという状況になって行くであろう。国の政策としても、労働市場のインフラを整備して、求人情報の充実のみならず、労働者の技術向上のための訓練設備を整備する必要が生じてくる。そして、転職を希望する中高年が、年齢を理由に不利な扱いを受けることがないような社会的ルールも必要となろう。
人的資源こそが日本の経済繁栄をもたらした最大の要因である。そして将来のためにも人的資源の開発は、最も重要な施策である。だからこそ、雇用システムの改革を通じ、有能な労働力の育成と労働資源のより適切な配分を志向して行くことが重要なのである。
(抄訳:浦部仁志)
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