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米国政治の長期傾向と短期変動

久保文明 (東京大学教授)


オリジナルの英文:
"Long-term Trends and Short-term Fluctuations in American Politics"
http://www.glocom.org/opinions/essays/20030904_kubo_long/


要 旨


日本では今年前半、「ネオコンによる支配」というような表現が多く見られたが、米国ではネオ・コンサーバティブ(新保守主義)は新しいものでは無く、1970年代から見られる現象である。「ネオコン」という表現自体は日本独特のものであり、多くの日本人はその真の意味を理解せずに、せいぜい軍事力依存に偏った超保守主義というイメージを持っているのではないだろうか。しかしそのようなネオコンは、実際に例えばブッシュ政権内では極めて稀な存在である。ブッシュ政権の外交政策は、明らかにネオコンでは無いチェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ライス補佐官等の動向を考慮しなければ理解できない。


然し一方で、1980年代初め以降、ネオコン的思考が共和党の中に浸透してきた経緯も理解をしておく必要がある。ジャクソン大統領(1829-1837)やレーガン大統領(1981-1989)が推進した「力による和平」政策は、ネオコンの影響というわけでは明らかにない。伝統的なタカ派もこの様な政策を支持したが、1970年代に共和党が保守的キリスト教グループまで支持層を広げてからは、内外政策の正当性という視点が保守的な宗教的信条と共鳴した。ニクソンとキッシンジャーのコンビによるデタント政策や対中国宥和政策に共和党内から反対してきたのは、台頭しつつあったネオコン、伝統的タカ派、反共産主義者、そして保守的キリスト教グループによる連合であった。


共和党の変化
1970年代初期には共和党は穏健派のニクソン、フォード、そしてロックフェラーなどに率いられていた。しかし1990年代半ばまでには保守派により支配されていた。1980年代初に始まった「レーガン革命」で保守派は力を得たが、当時は彼らの支配力はまだ穏健派の協力を必要としていたため磐石ではなかった。1988年にはブッシュ(先代)が政権に就いたが、彼の出自は穏健派であり、増税や規制強化により党内保守派とは疎遠になっていった。後述の通り、1992年の落選の背景の一つである。1994年の中間選挙で、保守派の支配は完成した。レーガンの伝統に倣うギングリッチ下院議長達の指導の下、1970年代の共和党からは大きく変わったものになっていた。1990年代には、反税グループ、中小企業、宗教・文化面の保守派、自宅学習者、そして強力な防衛産業といった、一部これまでには見られなかった団体の連合が共和党の中核を形成した。1990年代終わりの共和党には、昔の自由派と穏健派 ─ それは同時に国際派であり外交穏健派でもあったのだが ─ は消滅していた。中小企業の台頭は、それまで外交政策を牛耳っていたビジネス界での、国際的規模の企業の発言力を無力化した。


1995年以来、共和党は議会においても国内のみならず外交政策にも大きな影響を及ぼした。親中国政策、北朝鮮宥和政策、京都議定書の採択、国際刑事裁判所の設置、そしてクリントン大統領によるボスニア・コソボ問題への関与に至るまで、共和党は反対する一方で、ミサイル防衛の増進を支持し包括的核実験禁止条約に反対した。


ブッシュ大統領は就任に際し、僅かな修正を除いて、共和党がそれまでに議会で主張してきた殆ど全ての政策を受け入れた。ブッシュ外交の原点は1990年代後半の保守的な共和党議員団に由来するのである。


米政策の弱点
米国は戦争の遂行には長けている。しかし外国に大規模の軍隊を占領や再建のために長期間にわたり派遣する能力には疑問がある。或いは、第二次大戦後のマーシャルプランをおそらく唯一の例外として、巨額の資金を他国の援助に振り向けるような政策は得意ではないようである。事実、ブッシュ大統領は2002年にアフガニスタン向けマーシャルプランを打ち出したのであるが、実際の援助は僅かなものに終わった。


今、イラクに派遣された米軍の家族は、戦争が終わったにもかかわらず兵士が帰国できないことに不満を募らせている。民主党を中心として、戦後のイラクは国連や他の国々に委ねるべきであるという議員が増加しつつある。米国がイラク復興を遂行するかどうかは大きな問題である。


2004年大統領選挙
1992年に、現大統領の父ブッシュ大統領は、一時90%にも達した支持率を踏まえながら、再選を果たせなかった。息子としては二つの学ぶべき点がある。一つは、選挙の際に最も重要な要素は一時の人気ではなく経済であるということ、もう一つは、共和党候補者として、自党の保守層から見放されては勝てない、ということである。


第二の点については、息子ブッシュは就任以来忠実に配慮しているようである。現政権は近来で最も保守的な政府であり、レーガンより、そして父ブッシュ政権より保守的である。


経済は時に政治のコントロールは及ばない。しかしながらブッシュ大統領にとって、大規模な減税は裏目に出るかも知れない。減税は、保守派にとっては経済回復の手法とは認知されていない。おそらくブッシュ大統領自身の哲学に発している政策と思われる。したがって、経済が回復しなければその責任、そしてそれにともなう財政赤字拡大の責任は、すべてブッシュ大統領に帰せられることになる。現段階で、民主党の大統領候補がブッシュの経済政策を批判するには、失業率、失職、株価、そして財政赤字等充分な材料がある。


その上、もしイラク情勢が、これまでの占領開始後だけでも300人以上の死者を出しているような混乱状態を2004年秋まで続けたら、ブッシュ大統領は非常に不利になる。


民主党にも弱点がある。もし民主党の大統領候補が1972年のマクガバンのような行過ぎた自由主義の「平和候補」となった場合、軍事力の回復を図ることは放棄するであろう。そのような候補者はイラク占領と再建策に反対するであろうが、一方で米国市民の支持を得るためには、強硬な反テロ対策を打ち出さなくてはならない。これは、2001年9月11日の同時多発テロに見舞われた米国に永遠に残るであろう後遺症である。


共和党と民主党の政策が、国内のみならず外交政策においてもかように対立してしまった現在、もし民主党が政権をとれば、ブッシュ政権が進めた外交政策は、テロ対策を除いて多くが撤回される可能性がある。もしそうなった場合の準備として、我々は特に日本やアジア政策がどのように変わるかをよく検討しておかなくてはならない。2001年1月の時点で、多くの日本人は、ブッシュ新政権が前政権の政策との断絶と転換をこれほどまで大規模に行うとは予想していなかった。


第二期のブッシュ政権が実現すれば、イラクの経験を踏まえ、外交政策展望に若干の見直しが行われる可能性はある。一方、民主党政権が成立すれば、誰がトップに立つにせよ、全く異なる外交政策が提示されよう。二大政党の政策が対極化した米国政治の下では、次回大統領選挙には米国人のみならず、我々にとっても非常に多くのものが賭けられているのである。

(抄訳:浦部仁志)

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